マリア信仰について話してみよう
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カトリックの教会に行くと、イエスの肖像よりも、マリアの肖像が目立ちます。
幼子イエスを抱いているものが多いです。
まるで、キリスト教ではなく、マリア教かのような勢いです。

今回は、そんなマリア信仰についてのお話です。

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マリア信仰って?

まずはおさらい。
マリアとは、イエス・キリストのお母さんです。
マリア、という名前は良くある名前なので、聖書でもしょっちゅう出てきます。ワケわからなくなるくらい。
母マリアマグダラのマリアは、覚えておくとちょっとラッキー位な感じです。
とりあえず、今はお母さんであるマリアについてです。
聖公会でも、東方教会でも、確かにマリアはある程度の崇敬の対象とはなっています。
(プロテスタントでは基本あまりないです)
ですが、カトリックに於いては、かなりの入れ込みよう。
カトリックにある「ロザリオの祈り」という祈りは、マリアに神様への取り次ぎをお願いする祈りです。
※ロザリオとは日本で言うところの数珠のようなもので、10個一連×5連で一つの輪になっていおり、その珠を繰りながら祈りを唱えるものです。
因みに、フランスはカトリック国ですがかの有名なノートルダム寺院は「私たちの貴婦人の寺院」という名称で、私たちの貴婦人=(聖母)マリアという意味です。
また、カトリック圏ではマリアに関する奇跡も多く、有名なルルドの泉はマリア出現による、病気治癒の泉です。
中世カトリック(中世西洋キリスト教はほぼカトリックと見てOK)では、マリア信仰が白熱するあまり、プロテスタント運動が生まれた時にはそこへの攻撃が強く出ます。
聖書に根拠の立証できないマリア信仰ではなく、あくまでも神である主はイエスである、という考え方に立つのがプロテスタントですね。
(プロテスタントにも様々な派閥がありますが、ややこしくなるので割愛します。ただ基本は、「神(イエス)は母により神であるわけではない」という考え方です)
カトリックでのマリアの扱いは下記のようなものです。

被昇天

通常人間は終末まで待って、審判を受け天の国(または地獄)へと赴きます。
マリアはそれを待たずに、天国へ行くことができたというもので、イエスは昇天ですが、マリアは神様に召しあげていただく、と言うことで「被」昇天となります。

無原罪の御宿り(むげんざいのおやどり)

人は原罪を背負い産まれてくるというのが、キリスト教の基本教義ですが、イエスを身ごもることができたマリアは、産まれた時からその原罪がなかった(免除されていた)というのがこの「無原罪の御宿り」です。
カトリック以外の(プロテスタント以外の)教派では、マリアが神の栄光を得られたのはイエスを身籠り産んだ後からだとされます。
ベラスケスエル・グレコがこのテーマで絵を描いており、有名です。

正教会での呼称

正教会ではマリアのことを聖母マリアではなく、生神女(しょうしんじょ)マリヤ(マリアではなくマリヤと表記することが多い)と呼ぶことが多いです。
この生神女マリヤがイエス誕生以前(旧約聖書時代)の聖人とイエス以降(新約聖書)の間の橋渡し役となり、旧約聖書の聖人全てが生神女マリヤと共に、イエスがこの世に人の形をとる事に同意した、という理解がされています。わかりにくいですね。理解しなくて大丈夫です。

マリアのお母さんも処女?!

少し面白い信仰としては4世紀ごろと15世紀ごろに流行した信仰で、マリアのお母さんアンナ(聖アンナ)もまた、処女受胎をしてマリアを出産したというものがあります。
これについては1677年にカトリック教会が否定しています。
(ただし、聖アンナはマリアの母として聖人認定されています)
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どうしてマリア信仰は白熱したの?

で、結局何でマリア信仰が白熱したかっていうと、女神信仰が土着の信仰としてある場合、それと結びつくことが多いのですね。

カトリック国は多くの植民地を得ていました。
そしてそこには多くの土着の神がおり、その多くは地母神として女神を祀ることが多かったのでしょう。
多神教的世界観の場合、女神が優位にあることも多く(出産、繁栄、豊穣の神として祀られやすい)その女神との習合により、土着の信仰からの移行を促しキリスト教化が進んだとも考えられます。
つまり、世界でのカトリック帝国の版図を広げていくために利用された、ともいえるわけですね。
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