
セント・ポール大聖堂は、美しい尖塔をもった、真っ白な教会です。
故ダイアナ元妃が結婚式を挙げたり、チャーチルやサッチャーなどの有名な政治家の葬儀が行われたこととしても有名です。
そんなセント・ポール大聖堂の基本情報をまとめてみました。
もくじ
セント・ポール大聖堂ってどんな教会?
セント・ポール大聖堂は【St Paul's Cathedral】と書きます。Cathedralはカテドラルと読み、大聖堂という意味です。
日本語では聖パウロ大聖堂とも言います。
セント・ポール=聖パウロさん、ということですね。
真っ白な建物が有名で、半円形の聖堂の頭は、テレビでロンドンが映る時には必ずと言っていいほど目に入ります。
ロンドンでは、遠くからでも良く見えるので目印にも。
ダイアナ元妃の結婚式のトレーン
そして、この教会といえば、故ダイアナ元妃の結婚式です。
通常、イギリス王室の結婚式はウエストミンスター寺院で行われますが、チャールズ王太子とダイアナ元妃は(チャールズ王太子の指示により)このセント・ポール大聖堂で挙式をしました。
このセント・ポール大聖堂へは、父親のスペンサー伯爵と共にレディ・ダイアナ(父親が伯爵なので、伯爵令嬢への称号としてレディがつきます)としてガラス窓のついた馬車に乗って向かいました。
そんなダイアナ元妃のドレスはとても豪華で、セント・ポール大聖堂の祭壇までの長い身廊を7.5メートルにも及ぶトレーンが飾りました。
トレーンとはウエディングドレスの後ろ側の引きずる部分です。
因みに、ドレスには1万個ものパールがあしらわれていたり、生地ももちろん英国製シルク。見るだけで眼福、と思えるものでした。
そしてそんな長いトレーンに、140メートルのヴェールが重なります。
生で見られたならば、後ろ姿が本当に美しかったことでしょう。
チャーチルやサッチャーの葬儀も
ウエストミンスター寺院が王家の菩提寺と例えられるのに対し、この大聖堂は市民の為の大聖堂として、ロンドン市民に愛されてきました。
1965年にはエリザベス女王臨席でウィンストン・チャーチルの葬儀が、2013年にはマーガレット・サッチャー首相の葬儀が行われているのも、そうした背景があるからでしょう。
また、イギリスが関わった戦争の勝利を祝う式典の場としても使われています。
なんとその歴史は古く、エリザベス1世がスペインの無敵艦隊を滅ぼした記念の式典をこのセント・ポール大聖堂で行ったそうです。
どのくらい古いかというと、多少前後しますが、だいたい関ヶ原の戦いの頃の出来事だと思っていただければ!
セント・ポールの歴史
ではそんなセント・ポールの歴史を紐解いてみましょう。
良く燃えるセント・ポール
セント・ポールは何度も火災で焼失しています。最初に建てられたのは607年頃。どのくらい古いかというと、日本では推古天皇の治世。法隆寺が建立されて小野妹子が遣隋使として派遣。有名な「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」と書いて送った時代です。古い!
当時は木造で焼失。その後7世紀後半ごろに石造りの聖堂として建て替えられます。しかし残念なことに、10世紀半ばにヴァイキングによって焼き払われたそうです。


さらに3代目となる聖堂はサクソン人(北ドイツ低地のゲルマン系部族のことで、イングランド人の民族形成の基盤になった)が建てました。
これもなんと1087年に焼失。良く燃えますね……。
そしてその後1240年に、主教モーリス(ウィリアム1世により任命)が再建した聖堂が、旧セント・ポール大聖堂(=Old St Paul's Cathedral)と呼ばれるようになりました。
旧セント・ポール大聖堂はどんな建物だった?
長さ196メートル、幅96メートルの大規模な聖堂でした。まさに大聖堂と呼ぶにふさわしいですね。
建物中央には、地上158メートルの高さの尖塔が建てられていました。木組みで、屋根は鉛でできていました。その屋根の頂点には十字架と鷲が飾られて、街のシンボルになっていました。
1447年にその尖塔が落雷によって破壊。15年後に修復されましたが、1561年に再び落雷し、屋根全体に延焼を起こします。エリザベス一世も復旧に関心を寄せたのですが、残念ながら資金は集まり切らずに、屋根だけの修復となりました。
クリストファー・レンの大聖堂が登場
そんな状態の中、どんどんと荒廃がすすんでいった旧セント・ポール大聖堂を再建しようという気運が強まり、建築家クリストファー・レンやイニゴ・ジョーンズなどが再建案をまとめていきます。
そんなさなか、1666年にロンドン大火が起きました。その大火により、旧セント・ポール大聖堂は完全に焼失。それを機に、クリストファー・レンによりバロック建築として再建され1710年に完成します。
これが今のセント・ポール大聖堂です。
チャーチルの言葉「セント・ポールはまだ建っているかね」
美しいファサードや柱を持ったこの大聖堂は、第二次大戦下の1941年、ドイツ軍による空爆の際に大きな損壊を受けました。
その時の首相ウィンストン・チャーチルが「セント・ポールはまだ建っているかね」と尋ねた言葉は有名です。
それほどまでに、セント・ポール大聖堂は、国民の心の支えの一つでもあったのでしょう。


ロンドン大火災で燃えた街
1666年9月2日AM1:00過ぎ。出火元はパン屋のかまどでした。そこから燃え出した炎は、4日間にわたりロンドンの市内を燃やし続けます。
被害はおよそ1万3200戸。これは当時のロンドン市内の家屋の約85%を占めます。


この火災によって、中世都市ロンドンは完全に焼失。市民は燃え広がる炎を前に、なすすべもなかったそうです。
この後、木造建築の禁止などからなる建築規制が行われ、セント・ポール大聖堂をはじめとする多くの教会堂の復興が行われました。
セント・ポール大聖堂:https://www.stpauls.co.uk/